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以下私見。

神道夢想流杖道、64本(五本の乱を含めると69本)の形のうち、14本を占める影。
どのような位置付けであり、何を目的に練るのか。
山口県杖道連盟のホームページには以下のように記載されている。

「心の修練をすることを目的とし、表業と同名の十二本で構成されている。
手数は少なくス ピードもないが気迫に満ちた稽古が必要であり、心技の基本と考えられる。」

一般的には大体上記のような内容とされ、心錬であり、気息、間を練るものと言われている。
さて、心錬とは?気息・間をどのように練るのか?それが武術においてどのような効果があるのか?
具体的なことについては、実際のところ「よくわからない」という人が多いのではないだろうか。

方向性の間違っていない稽古をしていれば自ずと身に付いてくるものであるし、それを言葉に表す必要もない・・・それが武術の本来の在り方だと思います。
誤解を恐れずに言えば「武術に理屈は不要、ただ稽古あるのみ。」です。
しかし、それではこのブログにも書くことがなくなってしまいます。(笑)
また、各段階の稽古においての一つの目安となり、修行者各々が稽古の方向性を定めるヒントになれば、ということで記載してみたいと思います。

勿論、影がそうであるように他の段階についても具体的な目的があります。
段階の中でも数本がセットになって語りかけてくるようなものもあり興味深いところです。(五月雨や奥など)

他の段階はまたの機会にして、影です。
簡単に言ってしまえば「表・中段で習得した動きを実戦で使い得るものにする。」それが影だと感じます。
言い方を変えれば「表・中段で身に付けた動きを武術の動きにする。」ためのもの。
仮に、影がないとどうでしょうか。
表・中段で杖術の動きは身に付きますが、覚えた形をなぞるだけのものになるでしょう。
逆に表・中段がなく影だけであれば、杖術の基本的な動きがそもそも出来ないでしょう。

例えば、他の武術において武術的な動きが出来ている人が杖術を始めたら、極端に言えば影の段階は不要であるか確認程度になるのではないでしょうか。
そういう人は、早い時期から影の要素を持って表・中段の形が出来ることでしょう。

他の武術・武道・格闘技においては、そのような要素を自由組手で養おうとするものも多くあります。
神道夢想流においての影は動きの制約された(ルールの増えた)自由組手と言えます。
一般にそれを約束組手と言いますが、影は約束組手とも違うものだと感じます。
逆説的ですが、動きが制約されているからこそ、実戦を前提にした武術的な動きをしっかりと練ることが出来るのではないでしょうか。

私自身、杖術を練ることによって素手の自由組手がかなり変わりました。
残念ながら影を練る前の中段の段階でしたが、自由組手の中で杖術の感覚を再現することにより、逆に影を練ったような効果が現れたのだと思います。
その後、影を稽古するようになり、非常にその感覚を練りやすい形だと感じました。

小倉一貫堂においては影の段階では「落とす呼吸」を練ることや、敵との間の圧(接触、非接触に関わらず)を意識し粘ること、敵の動きを感じ付いていったりコントロールする感覚を養うこと等を重視しています。
その感覚がなければ攻防は反射神経頼り、スピード勝負となってしまうでしょう。
そのような影の要素・・・しっかり身に付けている人にとっては意識せずとも行っている当たり前のことですが、現代の競技化された武道の中では見過ごされがちな要素なのかもしれません。

そう考えると神道夢想流杖道は、各段階でのテーマをこなしていくことを前提に、素晴らしい稽古体系が確立されている武術と言えます。
杖に限らず、全ての武術に通じる「武術の原理」を体得出来る体系になっていると感じます。
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