今年6月以降に行われた審査等について、このブログで記載していませんでしたので、今年行われた審査や試合について小倉一貫堂に関する部分をここで振り返ってみたいと思います。
(福岡県杖術協会、真傳無外流居合兵道会のホームページにはレポートアップ済み)



〇2月12日 真傳無外流居合兵道会 講習審査会
 ⇒ブログ掲載済み



〇2月26日 山口県・福岡県杖術協会 講習審査会
 ⇒小倉一貫堂からの受審なし



〇5月14日 真傳無外流居合兵道会 講習審査会
 ⇒ブログ掲載済み



〇6月25日 山口県・福岡県杖術協会 講習審査会

(昇級審査)
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稽古の時よりも審査本番の方が断然良かったですね。合格おめでとうございます。

(昇級審査)
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上達が早いのはしっかりと稽古されている成果ですね。合格おめでとうございます。

(昇級審査)
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次はいよいよ段が見えてきますので稽古を積んでいきましょう。合格おめでとうございます。



〇7月30日 第1回 日本杖術協会 競技大会
今年は杖術協会となって最初の全国大会が開催されました。
前日には講習会、懇親会があり、全国の皆さんと親睦を深めることができました。

小倉一貫堂の皆さんも試合で好成績を収めました。

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団体戦A:三位

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段外の部:優勝/団体戦B:優勝 

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初弐段の部:三位

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演武:一角流十手術



〇11月19日 真傳無外流居合兵道会 講習審査会

(昇級審査)
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五用を稽古して初めての審査に臨みます。合格おめでとうございます。

(昇級審査)
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落ち着いた試技でした。合格おめでとうございます。



〇12月10日 山口県・福岡県杖術協会 講習審査会

(昇級審査)
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稽古の成果がしっかりと出ましたね。合格おめでとうございます。

(昇級審査)
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力強い試技でしたね。合格おめでとうございます。

(昇段審査)
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初段審査に相応しい試技でした。いよいよ初段ですね。合格おめでとうございます。

(昇段審査)
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敵を観るという武術の部分もできてきましたね。小倉一貫堂から初の弐段です。



武術を稽古していくに当たっては人それぞれに目標があると思います。
昇級・昇段であったり、試合であったり・・・そういうところでなくても健康のためであったり護身術として、自分を強くするため、ただ好きだから、もっと言えばなんとなくなど様々だと思います。
ただ、どのような目標・目的であっても「武術である」という根本を忘れては意味がありません。

形武道を武術にするには気を付けなくてはならない部分が多くあります。
最も大きなところは「敵の動きを知っている」ということです。
実戦において、読みや誘いの範疇となることはありますが、基本的には実戦にない部分です。
従って、稽古においてはそれを元にして動くことは避けなければなりません。
具体例の一つとして技のスピードを上げるために、敵の次の動作を拠り所にしてしまうこと。
これをしてしまうと形としてはスピードもキレもある素晴らしいものになりますが、武術とは程遠いものになってしまいます。
質が悪いのは、形武道を武術として稽古しようとすればするほど、この傾向が大きくなることです。
(正確には「形武道を格闘技として稽古しようとすればするほど」ですが)
形武道の最大の欠点と言える部分だと思います。

小倉一貫堂では、12月の杖術審査会で初段、弐段合格者が出ましたが、初段になるまでは上記のようなところはあまり考えなくて良いかもしれません。(ただ、意識だけはしておく必要があります)
初段からはより意識して頂いて、四段あたりになるまでには完成して頂きたいところです。
今回の弐段合格者もその部分が順調にできてきており、今後、少しづつ影を稽古していくことで、より身に付くのではないかと思います。
神道夢想流杖術の稽古体系の素晴らしいところです。
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年末の稽古納めの記事で頂いたコメントに良い質問がありましたので、それについて触れてみたいと思います。

内容は「着杖で始めに床へ真っ直ぐ杖を立てるには、どのようなことを心がければよいか」というものです。
答えは「自然に着けば良い」となりますが・・・実はその「自然に」というところが杖や太刀の遣い方とも関係してくる要素となります。
ブログで書くつもりではなかった部分になりますが概要だけ触れてみたいと思います。

杖を真っ直ぐに着くことが、杖や太刀の遣い方とどう関係あるのか。
具体的には、杖や太刀の動きたいように動かしてあげるのと関係がある要素です。
「動きたいように」とはどういうことか。
わかりやすいのは八相や上段に構えた太刀です。
その構えで太刀に満ちている力を感じられるでしょうか。
現代的に言えば「位置エネルギー」です。
他にもいくつかの要素がありますが、一番わかりやすい要素が位置エネルギーです。
(古流の構えや実戦の気迫を意識するとわかりやすいです)
その力が感じられれば、あとはその力に沿って手助けしてあげるだけです。
無駄な力はその位置エネルギー(太刀自体の力)を邪魔してしまいます。

着杖で杖を「着く」時も同じですね・・・不要な力を削ぎ落とすことです。
但し、削ぎ落とすのはあくまで「不要な力」であって芯を通る力は必要です。
形武道では実戦形式の打ち合いが少ないため、「脱力」が「必要な力まで抜くこと」と勘違いされやすいところです。
(力というか芯というイメージのほうが適切かもしれません)

位置エネルギー以外の要素についてはご自分で探してみて下さい。
太刀であれば、八相に構えた時に感じるような太刀の力を逆袈裟斬りや斬上げ、横一文字斬りで感じられれば良いかと思います。
構えは違いますが、杖についても同じですね。

従って、最初に戻ってご質問の答えは「杖が動きたいように自然に着いてあげる」ことが結果的に真っ直ぐに着くことに繋がります。
数多くある武術の中で、なぜ杖術なのか。
人が長い歴史の中で創意工夫してきた武術には、基本的に武術・門派による優劣はないと思う。
しかし自分の中ではやはり杖術をこれまで稽古してきて、これからも続けていく理由がある訳でそこに少し触れてみたいと思う。

但し、全て書いていくとそもそもの武術の意義から、武術・武道・格闘技の違い、現代でどのように武術が活きてくるのかという話になり、とても一日では書ききれないので、まあ少しづつということで(^_^;)

武術において敵との攻防を最も効率良く行う一番良い方法は敵と一つになることである。
敵といかに繋がるかということ。
自分に向かってくる力(物理的・精神的を問わず)を逸らすのに効率的なのは、その力と同化することだ。
イメージとしては、自分に向かってくる貨車・・・それを逸らすのに横から力を加えて進行方向を変えるのではなく、自分がその貨車の先頭車両となり進行方向を変えるイメージ。

自分の身体以外のものと一体となる、繋がる訓練において杖は非常に良い稽古となる。
この非常に単純で簡単な構造の一本の棒と繋がること、自分の身体と同化させることが、ひいては敵と一体となることに繋がる。
正しく杖を使うことは、身体を練る、武術的な動きを練るのに非常に良い稽古となる。
杖を「軽く扱い、重く作用する」ことが出来るようになることが一つの目安となるだろう。

実戦において杖術がどのような効果があるか、杖を手にしていない時にどう役立つのか、またそれ以外の身体的な効果等についても、追々触れていきたいと思います。
神道夢想流杖術の稽古は、相対の形稽古が主となる。
形稽古の利点は身体の使い方や間、位置取り等の稽古がしっかりと出来るところだろう。
地稽古・・・空手で言うところの自由組手は反応や実戦の機微を養うには良いが、反面、身体の使い方が出来ていない者がすると、そのルールの中での勝ち負けに囚われてしまい小手先の動きになってしまう場合がある。
武術を志すならば実戦とはどのようなものかを常に意識しておく必要がある。
得物が「当たった」「当たらない」を基準にしていては、肉を斬っても骨を断たれることになる。

さて、形において養うことの一つ、身体の使い方には杖と身体の繋がりも含まれる。
腕と身体の芯を繋げ、腕の先にある杖も身体の芯と繋げる。
そうすることによって杖を通じて敵の動きを察したり杖に体重を乗せることも出来るようになる。
それが普通になれば小手先で動いても小手先の技ではなくなるだろう。

神道夢想流杖術の形稽古においては、敵が斬ってくるところが決まっている。自分の対応方法も決まっている。
だからこそ、実戦的な稽古となる。言っていることがおかしいだろうか。
実戦とはどのようなものかを意識している者にとっては、おかしい話でもないと思う。

自由組手や形稽古は自分にとって、とても楽しく面白い稽古である。
但し、何のためにその稽古をしているのかということを意識しておかないと稽古のための稽古になってしまう恐れがある。
例えば試合であっても、武術においては稽古の一つである。
試合や審査は短期的には良い目標となり、うまく利用すると実力向上に繋がるが、その先にあるものをしっかりと見据えておく必要がある。
以下私見。

神道夢想流杖道、64本(五本の乱を含めると69本)の形のうち、14本を占める影。
どのような位置付けであり、何を目的に練るのか。
山口県杖道連盟のホームページには以下のように記載されている。

「心の修練をすることを目的とし、表業と同名の十二本で構成されている。
手数は少なくス ピードもないが気迫に満ちた稽古が必要であり、心技の基本と考えられる。」

一般的には大体上記のような内容とされ、心錬であり、気息、間を練るものと言われている。
さて、心錬とは?気息・間をどのように練るのか?それが武術においてどのような効果があるのか?
具体的なことについては、実際のところ「よくわからない」という人が多いのではないだろうか。

方向性の間違っていない稽古をしていれば自ずと身に付いてくるものであるし、それを言葉に表す必要もない・・・それが武術の本来の在り方だと思います。
誤解を恐れずに言えば「武術に理屈は不要、ただ稽古あるのみ。」です。
しかし、それではこのブログにも書くことがなくなってしまいます。(笑)
また、各段階の稽古においての一つの目安となり、修行者各々が稽古の方向性を定めるヒントになれば、ということで記載してみたいと思います。

勿論、影がそうであるように他の段階についても具体的な目的があります。
段階の中でも数本がセットになって語りかけてくるようなものもあり興味深いところです。(五月雨や奥など)

他の段階はまたの機会にして、影です。
簡単に言ってしまえば「表・中段で習得した動きを実戦で使い得るものにする。」それが影だと感じます。
言い方を変えれば「表・中段で身に付けた動きを武術の動きにする。」ためのもの。
仮に、影がないとどうでしょうか。
表・中段で杖術の動きは身に付きますが、覚えた形をなぞるだけのものになるでしょう。
逆に表・中段がなく影だけであれば、杖術の基本的な動きがそもそも出来ないでしょう。

例えば、他の武術において武術的な動きが出来ている人が杖術を始めたら、極端に言えば影の段階は不要であるか確認程度になるのではないでしょうか。
そういう人は、早い時期から影の要素を持って表・中段の形が出来ることでしょう。

他の武術・武道・格闘技においては、そのような要素を自由組手で養おうとするものも多くあります。
神道夢想流においての影は動きの制約された(ルールの増えた)自由組手と言えます。
一般にそれを約束組手と言いますが、影は約束組手とも違うものだと感じます。
逆説的ですが、動きが制約されているからこそ、実戦を前提にした武術的な動きをしっかりと練ることが出来るのではないでしょうか。

私自身、杖術を練ることによって素手の自由組手がかなり変わりました。
残念ながら影を練る前の中段の段階でしたが、自由組手の中で杖術の感覚を再現することにより、逆に影を練ったような効果が現れたのだと思います。
その後、影を稽古するようになり、非常にその感覚を練りやすい形だと感じました。

小倉一貫堂においては影の段階では「落とす呼吸」を練ることや、敵との間の圧(接触、非接触に関わらず)を意識し粘ること、敵の動きを感じ付いていったりコントロールする感覚を養うこと等を重視しています。
その感覚がなければ攻防は反射神経頼り、スピード勝負となってしまうでしょう。
そのような影の要素・・・しっかり身に付けている人にとっては意識せずとも行っている当たり前のことですが、現代の競技化された武道の中では見過ごされがちな要素なのかもしれません。

そう考えると神道夢想流杖道は、各段階でのテーマをこなしていくことを前提に、素晴らしい稽古体系が確立されている武術と言えます。
杖に限らず、全ての武術に通じる「武術の原理」を体得出来る体系になっていると感じます。