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一般的に先には「先の先」「先々の先」「後の先」等がある。
また、宮本武蔵の五輪の書では「懸の先」「躰々の先」「待の先」が示されている。
先の話をするに当たって、流派等により定義が違う場合もあるので、あくまでここからは私の定義ということで御理解頂けると幸いです。

まず、「先」とは何か。
単純に考えると「先手」を取ること、「先に動くこと」と思われがちであるし、確かにそういった要素もある。
但し、それだけであると「先の先」は敵より先に動くこと、「後の先」は敵より後に動くことといったイメージになってしまう。
「先」を考える場合、例えば「先の先」であれば「こちらから仕掛ける」という理解ではなく、なぜそうするのかを考えなくてはいけない。

三つの「先」について簡単に言えば、どの間であればこちらの技が入りやすいかとなる。
「先の先」は敵の準備が整っていない時やこちらが相対的に勝っている要素で技を決めていくこと。
「先々の先」は敵の動きの起こりの隙をついていくこと。
「後の先」は敵の動きの終わりの隙、又は敵の動きを捌き、隙を作りだし、そこを攻めていくこと。
ちなみに日本語的には「~の先」は「~を取る有利」と読み替えるとわかりやすいかもしれない。
「先の先」は「先を取ることの有利」、「先々の先」は「先々を取ることの有利」、「後の先」は「後を取ることの有利」となる。
但し、「先を取れば有利」「後を取れば有利」ということではなく、どのように、どの間(タイミング)を取るのかが重要となるので、そこを記したいと思う。

まず「先の先」(「懸の先」)。これは「こちらから仕掛ける有利」であるが、それには条件があり「敵の準備ができていない」であったり「敵よりスピードで勝っている」といった条件が必要になってくる。
「先の先」(「懸の先」)は敵の準備が整っていない時や速さ・威力で相対的に勝る時に使うことができる。
「威力で相対的に敵に勝る」とは何か?例えばパンチ力が強ければ良いのか?
格闘技においては概ねそう言える。しかし武術においては例えば刃物ひとつ手にした瞬間に変わってくる。
強いパンチを打っても敵に先々の先又は後の先を取られ、パンチを打った手を斬られてしまう危険がある。急所への攻撃然り。
「先の先」は多くの要素に分類できると思う。例えば・・・「速さによる先の先」「力による先の先」「意識による先の先」「角度による先の先」「間合いによる先の先」「周囲の条件による先の先」等々・・・。
逆に言えばそういった有利な要素もなく、単純に敵より先に動くだけでは逆に敵に先々の先または後の先を取られることとなるので注意が必要である。

次に「先々の先」(「躰々の先」)であるが、これは敵の技の起こりを捉えていく先となる。
人は何か動作を起こす時に隙ができる。無意識であったり何気ないものであれば隙も小さいが、特に「思いっきりいこう」とか「強く打とう」「倒してやろう」とすると技の起こりの隙も大きくなる。
その隙を捉えていく先となる。

「後の先」(「待の先」)は敵の技が終わった瞬間の隙、又は敵の技を捌き作り出した隙を攻めていく先となる。

格闘技でも勿論これらの先は意識するしないに係わらず使われる場面はあるが、どちらかと言えばスピードと力を高め、それを使った先の先で攻める要素が大きいようである。
武術においては敵と我の条件も違い、手にしている武器も違うことが前提である。どこを攻めるか、何を使うかも不明な武術においては格闘技に比べ仕掛ける間、どう先を取るのかはより複雑となる。

神道夢想流杖術においては「後の先」の要素が大きい。
これはなぜか。
杖が想定している敵は日本刀であるが、日本刀に比べ杖が勝っている条件は得物の長さである。
形の中にはその間合いを利用し先の先、または先々の先を取っていくものもあるが、殆どは後の先を取っていく場面が多い。
これは敵の変化を考えると当然のことで、杖が先の先、または先々の先を取っていこうとしても、敵からすればほんの僅か変化すればこちらにダメージを与えることができるからである。
具体的には打太刀が仕杖の頭部に斬り懸った場合、安易な間(タイミング)でその太刀を捌こうとすれば打太刀は僅か太刀筋を変えるだけで仕杖が捌こうとしてきた手に斬りつけることができる。
従って、杖は太刀が変化できないところまで引き付けて捌いていく必要がある。
神道夢想流において杖に「斬られよ」と言われるのはこのためであろう。
形の稽古においても、これはどの先であるのかを意識し形であっても敵との間(タイミング)を読み合うことで、稽古の質を高めることができる。
面白いのは同じ形、同じ技であっても違う先となる場合があることである。
例えば着杖の斬り付けをかわしての小手打ち。後の先で打つ場合と先々の先で打つ場合があるが、先々の先で打つ場合は体を捌きながら打っていくことが必要となる。

神道夢想流杖術は非常に良くできた武術であるが、稽古体系は形稽古が主体となるので、それによりどういった状態に陥りやすいのかは常に自覚し、自らを戒めなくてはならない。
神道夢想流杖術を実戦武術として稽古するために忘れてはならない大切なことである。
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今年6月以降に行われた審査等について、このブログで記載していませんでしたので、今年行われた審査や試合について小倉一貫堂に関する部分をここで振り返ってみたいと思います。
(福岡県杖術協会、真傳無外流居合兵道会のホームページにはレポートアップ済み)



〇2月12日 真傳無外流居合兵道会 講習審査会
 ⇒ブログ掲載済み



〇2月26日 山口県・福岡県杖術協会 講習審査会
 ⇒小倉一貫堂からの受審なし



〇5月14日 真傳無外流居合兵道会 講習審査会
 ⇒ブログ掲載済み



〇6月25日 山口県・福岡県杖術協会 講習審査会

(昇級審査)
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稽古の時よりも審査本番の方が断然良かったですね。合格おめでとうございます。

(昇級審査)
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上達が早いのはしっかりと稽古されている成果ですね。合格おめでとうございます。

(昇級審査)
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次はいよいよ段が見えてきますので稽古を積んでいきましょう。合格おめでとうございます。



〇7月30日 第1回 日本杖術協会 競技大会
今年は杖術協会となって最初の全国大会が開催されました。
前日には講習会、懇親会があり、全国の皆さんと親睦を深めることができました。

小倉一貫堂の皆さんも試合で好成績を収めました。

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団体戦A:三位

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段外の部:優勝/団体戦B:優勝 

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初弐段の部:三位

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演武:一角流十手術



〇11月19日 真傳無外流居合兵道会 講習審査会

(昇級審査)
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五用を稽古して初めての審査に臨みます。合格おめでとうございます。

(昇級審査)
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落ち着いた試技でした。合格おめでとうございます。



〇12月10日 山口県・福岡県杖術協会 講習審査会

(昇級審査)
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稽古の成果がしっかりと出ましたね。合格おめでとうございます。

(昇級審査)
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力強い試技でしたね。合格おめでとうございます。

(昇段審査)
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初段審査に相応しい試技でした。いよいよ初段ですね。合格おめでとうございます。

(昇段審査)
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敵を観るという武術の部分もできてきましたね。小倉一貫堂から初の弐段です。



武術を稽古していくに当たっては人それぞれに目標があると思います。
昇級・昇段であったり、試合であったり・・・そういうところでなくても健康のためであったり護身術として、自分を強くするため、ただ好きだから、もっと言えばなんとなくなど様々だと思います。
ただ、どのような目標・目的であっても「武術である」という根本を忘れては意味がありません。

形武道を武術にするには気を付けなくてはならない部分が多くあります。
最も大きなところは「敵の動きを知っている」ということです。
実戦において、読みや誘いの範疇となることはありますが、基本的には実戦にない部分です。
従って、稽古においてはそれを元にして動くことは避けなければなりません。
具体例の一つとして技のスピードを上げるために、敵の次の動作を拠り所にしてしまうこと。
これをしてしまうと形としてはスピードもキレもある素晴らしいものになりますが、武術とは程遠いものになってしまいます。
質が悪いのは、形武道を武術として稽古しようとすればするほど、この傾向が大きくなることです。
(正確には「形武道を格闘技として稽古しようとすればするほど」ですが)
形武道の最大の欠点と言える部分だと思います。

小倉一貫堂では、12月の杖術審査会で初段、弐段合格者が出ましたが、初段になるまでは上記のようなところはあまり考えなくて良いかもしれません。(ただ、意識だけはしておく必要があります)
初段からはより意識して頂いて、四段あたりになるまでには完成して頂きたいところです。
今回の弐段合格者もその部分が順調にできてきており、今後、少しづつ影を稽古していくことで、より身に付くのではないかと思います。
神道夢想流杖術の稽古体系の素晴らしいところです。
年末の稽古納めの記事で頂いたコメントに良い質問がありましたので、それについて触れてみたいと思います。

内容は「着杖で始めに床へ真っ直ぐ杖を立てるには、どのようなことを心がければよいか」というものです。
答えは「自然に着けば良い」となりますが・・・実はその「自然に」というところが杖や太刀の遣い方とも関係してくる要素となります。
ブログで書くつもりではなかった部分になりますが概要だけ触れてみたいと思います。

杖を真っ直ぐに着くことが、杖や太刀の遣い方とどう関係あるのか。
具体的には、杖や太刀の動きたいように動かしてあげるのと関係がある要素です。
「動きたいように」とはどういうことか。
わかりやすいのは八相や上段に構えた太刀です。
その構えで太刀に満ちている力を感じられるでしょうか。
現代的に言えば「位置エネルギー」です。
他にもいくつかの要素がありますが、一番わかりやすい要素が位置エネルギーです。
(古流の構えや実戦の気迫を意識するとわかりやすいです)
その力が感じられれば、あとはその力に沿って手助けしてあげるだけです。
無駄な力はその位置エネルギー(太刀自体の力)を邪魔してしまいます。

着杖で杖を「着く」時も同じですね・・・不要な力を削ぎ落とすことです。
但し、削ぎ落とすのはあくまで「不要な力」であって芯を通る力は必要です。
形武道では実戦形式の打ち合いが少ないため、「脱力」が「必要な力まで抜くこと」と勘違いされやすいところです。
(力というか芯というイメージのほうが適切かもしれません)

位置エネルギー以外の要素についてはご自分で探してみて下さい。
太刀であれば、八相に構えた時に感じるような太刀の力を逆袈裟斬りや斬上げ、横一文字斬りで感じられれば良いかと思います。
構えは違いますが、杖についても同じですね。

従って、最初に戻ってご質問の答えは「杖が動きたいように自然に着いてあげる」ことが結果的に真っ直ぐに着くことに繋がります。
数多くある武術の中で、なぜ杖術なのか。
人が長い歴史の中で創意工夫してきた武術には、基本的に武術・門派による優劣はないと思う。
しかし自分の中ではやはり杖術をこれまで稽古してきて、これからも続けていく理由がある訳でそこに少し触れてみたいと思う。

但し、全て書いていくとそもそもの武術の意義から、武術・武道・格闘技の違い、現代でどのように武術が活きてくるのかという話になり、とても一日では書ききれないので、まあ少しづつということで(^_^;)

武術において敵との攻防を最も効率良く行う一番良い方法は敵と一つになることである。
敵といかに繋がるかということ。
自分に向かってくる力(物理的・精神的を問わず)を逸らすのに効率的なのは、その力と同化することだ。
イメージとしては、自分に向かってくる貨車・・・それを逸らすのに横から力を加えて進行方向を変えるのではなく、自分がその貨車の先頭車両となり進行方向を変えるイメージ。

自分の身体以外のものと一体となる、繋がる訓練において杖は非常に良い稽古となる。
この非常に単純で簡単な構造の一本の棒と繋がること、自分の身体と同化させることが、ひいては敵と一体となることに繋がる。
正しく杖を使うことは、身体を練る、武術的な動きを練るのに非常に良い稽古となる。
杖を「軽く扱い、重く作用する」ことが出来るようになることが一つの目安となるだろう。

実戦において杖術がどのような効果があるか、杖を手にしていない時にどう役立つのか、またそれ以外の身体的な効果等についても、追々触れていきたいと思います。
神道夢想流杖術の稽古は、相対の形稽古が主となる。
形稽古の利点は身体の使い方や間、位置取り等の稽古がしっかりと出来るところだろう。
地稽古・・・空手で言うところの自由組手は反応や実戦の機微を養うには良いが、反面、身体の使い方が出来ていない者がすると、そのルールの中での勝ち負けに囚われてしまい小手先の動きになってしまう場合がある。
武術を志すならば実戦とはどのようなものかを常に意識しておく必要がある。
得物が「当たった」「当たらない」を基準にしていては、肉を斬っても骨を断たれることになる。

さて、形において養うことの一つ、身体の使い方には杖と身体の繋がりも含まれる。
腕と身体の芯を繋げ、腕の先にある杖も身体の芯と繋げる。
そうすることによって杖を通じて敵の動きを察したり杖に体重を乗せることも出来るようになる。
それが普通になれば小手先で動いても小手先の技ではなくなるだろう。

神道夢想流杖術の形稽古においては、敵が斬ってくるところが決まっている。自分の対応方法も決まっている。
だからこそ、実戦的な稽古となる。言っていることがおかしいだろうか。
実戦とはどのようなものかを意識している者にとっては、おかしい話でもないと思う。

自由組手や形稽古は自分にとって、とても楽しく面白い稽古である。
但し、何のためにその稽古をしているのかということを意識しておかないと稽古のための稽古になってしまう恐れがある。
例えば試合であっても、武術においては稽古の一つである。
試合や審査は短期的には良い目標となり、うまく利用すると実力向上に繋がるが、その先にあるものをしっかりと見据えておく必要がある。